ゴルフ偉人伝!偉大なる伝説、ボビー・ジョーンズ(現役編)

こんにちは!GOLF GUTS(ゴルフガッツ)の久我です!

ゴルフ界の偉人を語るのに「この人」を語らずにはいれません。

「球聖」といわれたボビー・ジョーンズです。

  • 本名 ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア
  • 出身 アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ市
  • 1902年3月17日〜1971年12月18日(69歳没)
  • 1974年に設立された世界ゴルフ殿堂に最初に殿堂入り

生まれて間もないころ、医者から「5歳まで生きられない」と言われるほどの病弱でした。

そこで、弁護士でゴルフ愛好家だった父親が、すべてはボビー・ジョーンズの健康のためにとコースへ連れて行きます。

5歳でゴルフに出会い6歳で初めての優勝すると、14歳で「全米アマチュア選手権」に初出場。「ゴルフ界のホープ」と地元の新聞に書かれ期待の新星として、アメリカ男子ゴルフ界の注目を集めます。

ボビー・ジョーンズの性格というと思い浮かべるのが「自制心の強さ」や「紳士」などだと思いますが、若い頃のボビー・ジョーンズは少し違ったようです。

1921年6月の全英オープンに初挑戦となったセントアンドリュースで強風の本選第3ラウンドで前半9ホールだけで10オーバーの46を叩いてしまい10番ホールもダブルボギー、11番ホールもティーショットをバンカーに入れると、脱出するのに3打かかってしまい4オンでダブルボギーパットも外したところでスコアカードを引き裂いてプレーを棄権してしまいました。その暴挙に、全英オープンのギャラリーは落胆したそうです。

さらに同じ年の全米アマチュアゴルフ選手権では、クラブを放り投げてしまい、そのクラブが女性ギャラリーにあたり怪我を負わせてしまいました。これが原因で、全米ゴルフ協会から試合を出場停止されてしまいます。

これでボビー・ジョーンズはゴルフの本質とも言うべきことに気がつきます。その時に生まれた名言が「ゴルフは目の前の人間同士で争うものではなく、コースに潜んでいるオールドマン・パーと戦わなければならないのだ。」つまり、ゴルフは「自分の中の自分」との戦いだと悟ったのです。

自分を見つめ直し「自制心の強さ」を手にいれたボビー・ジョーンズは「カラミティ・ジェーン」と呼ばれるL字型パターを相棒に次々と偉業を成し遂げていきます。

1923年に全米オープンを優勝すると1930年までにメジャー優勝13回(全米アマ 5回、全米オープン 4回、全英オープン 3回、全英アマ 1回)という偉業を成し遂げ1930年には全米オープン、全英オープン、全米アマ、全英アマの当時の4大メジャー大会を同じ年に優勝する年間グランドスラムを達成します。この年間グランドスラムを達成できたのはボビー・ジョーンズだけです。この偉業を称えてニューヨークで行われた凱旋パレードは尋常じゃない数の大観衆と紙吹雪でした。しかし、 1ヵ月後には引退を表明し世界中のファンを驚かせました。28歳という引退するにはあまりにも若過ぎる年齢でした。

数々の名言を残しているボビー・ジョーンズですが有名なのは、1925年第29回全米オープン第1ラウンド11番ホールで「アドレスのした際、ラフにあったボールが動いた」と申告し、1打ペナルティーを課しました。同伴プレイヤーのウォルター・ヘーゲンは「誰も見ていないのだから、ペナルティは必要ない」と進言したが、ボビー・ジョーンズは『銀行でお金を盗まなかったからといって誰も褒めない。ゴルファーとして当然の行為である』と聞き入れなかった。このペナルティーで最終的にウィリー・マクファーレンとプレーオフになり1打差で敗れました。しかし、この真実を偽りなく貫いた姿勢がゴルファーのあるべき姿だと称賛されのちに「球聖」と呼ばれることになります。

次回は引退後のボビー・ジョーンズの人生について。