年間グランドスラムという偉業を達成した1ヶ月後に引退したボビー・ジョーンズは父親譲りの頭脳を活かして勉強に励み、アトランタで弁護士の仕事に専念しつつジョージア工科大学の機械工学学士号とハーバード大学の英文学学士号を取得しゴルフコースの設計やゴルフ関連の映画の作成・執筆などにも積極的に取り組んでいきました。また、第二次世界大戦では空軍の指揮官としてノルマンディー上陸作戦にも参加した経歴もあります。
そんなボビー・ジョーンズの引退後の最大の功績がオーガスタ ナショナル (Augusta National)ゴルフクラブの創設です。
ジョージア州オーガスタの果樹園にセントアンドリュースを手本に、自然を生かしたコースをアリスター・マッケンジー(Alister MacKenzie)と共に設計し、1932年にオープンします。
そして1934年に友人の実業家クリフォード・ロバーツとの企画第 1 回を開催します。これが現在の現在のマスターズ (Masters)に変わるのは1939年の第6回大会からのことで、この「Augusta National Invitation Tournament」を企画した時にクリフォード・ロバーツが世界中の名手「マスター」だけが出場できる大会という意味で「The Masters Tournament」という大会名を提案しましたがボビー・ジョーンズが生意気過ぎるといって嫌ったためであると言われています。
それ以来、オーガスタ ナショナル (Augusta National)ゴルフクラブは「ゴルフの祭典」マスターズの開催地として知られ、他のメジャー大会(全英オープン・全米オープン・全米プロ)が毎年会場を変えて行われるのに対し、マスターズだけは毎年同じオーガスタ ナショナル (Augusta National)ゴルフクラブで行われています。
1948年に脊髄空洞症の診断を受け車椅子生活を強いられるようになりますが、 「セントアンドリュースでの経験さえ残れば、たとえ生涯で得た他の全てのものを失っても私の生涯は本当に満たされていた。」と言ったくらいセントアンドリュースには深い思い入れがあったようです。セントアンドリュースもボビー・ジョーンズに対する特別な思い入れがあるようで、1971年12月18日にボビー・ジョーンズが亡くなった時、セントアンドリュースはボビー・ジョーンズの死を惜しんでクラブハウスの旗を降ろして追悼しました。
69歳で亡くなり、死後に設立された「世界ゴルフ殿堂」には、最初に殿堂入りし今でも世界中のゴルファーの心に生き続けています。